
求めても逃げていく「条件付きの幸福」

どうすれば幸せになれるか、あるいは幸せになれないか、ゲンポ老師以上に知っている人はいません。
曹洞宗と臨済宗の両方の禅僧であり禅師でもあります。
45年以上にわたって、ものごとの本質を見抜く知恵を人々に伝授し、自らも悟りを開くべく修行を続けています。
ゲンポ老師は、状況に左右されない、何があっても持続する幸福というものがあると言います。
その境地に至れば、幸福という土台の上に人生を築くことができます。
他方、外部要因に左右される、条件付きの幸福もあります。
「◯◯だったら、私は幸せだ。」という考え方の幸福です。
「理想の相手と結ばれたら幸せだ」とか、「昇給すれば幸せだ」「昇進すれば幸せだ」という類いの幸福です。
貧しい国で出会った幸せな人びと

著者はこの手の幸福を何年も追いかけていました。
26歳で600万ドルを稼いだとき、同じように突然の富を掴んだ友人に、「1000万ドル稼げたら、きっと幸せになれる」とさえ言いました。
2年後すべてを失ったとき、ストレスは悪化しましたが、幸福感には変化がありませんでした。
そんなときでも幸福だったということではなく、大金を稼いでいたときも全然幸福ではなかったということです。
持っていないものを追求することによって得る「条件付きの幸福」は、真の幸福ではありません。
何を得ても、まだ持っていないものに意識が向かうからです。
そのような幸福は、目の前にぶら下げられたニンジンのようなもので、絶対に手が届くことはありません。
幸せになりたければ、今あるもの、いま置かれている状況に満足しなくてはなりません。
ゲンポ老師はお金はもう十分あると気づいたとき、求めるのを辞めたといいます。
裕福ではありませんでしたが、もう十分だと思ったのです。
追求をやめて現状を受容したら、以前より幸せになり、多くのことを達成することができました。
精神的自由や身体的自由を含め、わずかなものがあれば人は幸せになれるとゲンポ老師は言います。
生存すら危ういパニックモードでは幸せになれませんが、不安のストレスから解放される程度のお金さえあればいいのです。
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それは不可能な話ではありません。
著者はビジネススクールを修了後、カンボジアに滞在していました。
国民の1日の平均収入は約1ドル、戦争の傷跡ものこっていました。
地雷のせいで手足を失った人も珍しくありませんでした。
食事にも事欠きがちな暮らしであっても、人々の表情は幸せそうで、謙虚な気持ちにさせられました。
事実、彼らの多くは、著者よりも幸せそうだったのです。
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彼らの幸福感は、どこに由来しているのか?
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共同体の意識、家族、あるいは思想信条からきていたのかもしれませんが、断じてお金からではありませんでした。
それまでの著者の体験からは、戦争で疲弊した国の人々がこれほど幸福感と回復力を持てるとは信じがたかったのです。
次回予告

「幸福の値段」はいくらか?