本要約 鍼灸接骨院

【1ー14】共感を軸にした判断は「愚民政治」を招く

共感を軸にした判断は「愚民政治」を招く

プッティー
お前、「アラジンくん」て知ってるか?
アラジンって、あのディズニーのですか?
てつ
プッティー
せや。あれはもともとワシが原作なんやけど、映画作るときも脚本のアドバイスしたってん。
は、はあ・・・・
てつ
プッティー
アラジンのストーリーには「共感性の罠」が描かれてんねん。
罠?リスクがあるってことですか?
てつ
プッティー
せや。たしかに、共感を軸にしたコミュニケーションは、実際、最強に強い。せやけどな、リスクも存在してんねん。それが、いわゆる「愚民政治」を招きやすいゆうことや。
愚民政治・・・。間違った方向に行っても、止まらない、と。
てつ
プッティー
せや。そもそも、人がその人に「共感するかどうか」というんは、実質的には「どの物語を切り取るか」によって決まる。どんなけ筋の通らへんことでも、その気になれば理屈は付けれるんや。それが「アラジン問題」や。
・・・・アラジン問題?
てつ
プッティー
せや。映画『アラジン』は、こう始まる。アラジンは、貧しさゆえにパンを盗む。もちろん盗まれた店主は怒り、警察も出動する。追手を軽やかに振り払い、なんとか逃げ切るアラジン。ようやく一息つき、パンを食べようとする。そのとき、目の前に現れたのは、お腹を空かせた子供たちや。あかん!そう思て、アラジンは、子供たちにパンを与えてしまうんや。
これだけ聞くと、すごい心優しい主人公の話に聞こえますが・・・
てつ
プッティー
あかん!絶対あかん!これやから凡人は!その反応こそが危険なんや!
え、え??
てつ
プッティー
脚本の世界には、こういう格言がある。それは「悪いやつを主人公にしたときには、必ずもっと悪いやつを敵にする。」ってな。盗人にも三分の理があるように見せるためにな。
もっと悪いやつを敵にする・・・?
てつ
プッティー
せや。いったん冷静になって考えてみ。もし、普段よく行く地元のパン屋で、知らない人がパン盗んだらどない思う?店主知り合いやで。
そりゃまあ、怒ると思います。
てつ
プッティー
せやんな。それ、アラジンくんと同じやん。ただの盗人やで。
たしかに、言われてみるとそうですが、なんだか屁理屈に聞こえます。
てつ
プッティー
あー、ほんま。これやから凡人は。話ならんわ。
なんか、すみません。
てつ
プッティー
ええか、人が人を判断する際、「見える範囲」だけでその人を評価する。このことの恐ろしさを、アラジンくんは教えてくれてるんやで。
そ、そうなんですか・・・
てつ
プッティー
アラジンくんの場合は「パンを盗む」という明らかにアカン行為をしても、その後「子供に分け与える」ことで、視聴者が共感してまうやろ。せやけどな、これは巧妙に仕掛けられた罠なんや。だってな、例えば、アラジンの冒頭シーンがもし「パンを盗んだだけ」で終わってたとしたら、どう思う?
たしかに、ただの悪いやつかもしれないです。
てつ
プッティー
せやろ。アラジンは自分が生きていくためにパンを盗み、逃げ去っただけやで。むしろ、そのパン屋の店主には妻もいて、子供もいて、彼らを養わなあかんかもしれへん。アラジンの行為は、その店主の努力を明らかに踏みにじる行為やで。
なるほど。たしかに言われてみれば、テレビや映画でも「いい部分だけを切り取った」「悪い部分だけ切り取った」編集が、問題になっていますもんね。
てつ
プッティー
せや。逆にこの編集さえうまくやれば「店主のほう」に感情移入させることもできる。例えば、もし、パン屋の店主が、病弱な子供のために朝早く起きて、一生懸命粉をこねるシーンが描かれていたとしたら、きっと視聴者の多くは、むしろ「店主のほうに」感情移入するやろ。
たしかに、共感します。
てつ
プッティー
これこそがまさに「共感性」の危うさなんや。つまり、共感性とは往々にして「物語のどこを切り取るか」によって決まる。だから共感性だけを軸にして経営の意思決定をすると、間違う。だって「浅い」からな。

共感性は、一見すると根深そうに見えるが、実は「すぐひっくり返るもの」でもある。

プッティー
大事なんは、「どの部分を切り取り、見せるか」なんやで。これが共感性を軸にした意思決定は危うい、ちゅうことや。

次回

【1ー15】テクノロジー・アート・ミュージアム

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